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【個性は捨てろ!型にはまれ!三田紀房著】を読んでいろいろ考えてみた

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先日に続き、三田紀房さんの本をもう一冊ご紹介したいと思います。

前回はクリエイターのほとんどは「普通の人」である【徹夜しないで人の2倍仕事をする技術三田流マンガ論】を紹介させていただきました。

まず最初に断っておきますが、己の湧き上がる個性で勝負し、結果を出しているいわゆる「天才」と思われる方、そっとブラウザを閉じてください。これからご紹介する本は一般人のための本なのです。

この本を一番オススメしたいのは「個性を磨きまくってるけど、ちっともに結果が出ない」というような人。

三田さんが如何にしてこのような発想なのか、興味のある方は是非読んでみてください。

型にはまれ

成功には『型』がある。それでは、成功への近道とはどんな道だろう。どうすれば手っ取り早く、合理的に、そして確実に成功を手にできるのだろう。才能? そんなもの、大して重要じゃない。これについては、僕には確固とした答えがある。とにかく、キレイに舗装された高速道路を走ることだ。近道はウロウロと探しまわるものではないし、自分で果敢に切り開いていくものでもない。あらかじめ誰かが整備してくれた道路を、猛スピードで走り抜ける。それに勝る近道はないのだ。 
 

想像するに「整備してくれた道路」とは、その道の「基本」や「普通」ではないのかなと。ベタに行け、王道を行けということ。

目的地(成功)を目指すのに「俺はあえて山道を行くぜ?」とか「地下から掘っていくのがおもしろくね?」とかじゃなくて「普通に高速道路でいきなさい」と。

「近道をウロウロ探す」や「自分で果敢に切り開く」ことって意外とやりたくなりませんか。誰も思いついてない方法とか、苦労せずに早く結果が出る方法を探したり、あるいは関係のないことばっかりやったり。

そんな荒唐無稽な方法論から結果が出せるのは一部の天才のみ。ほとんどの人は一般人です。まっとうな道、基本的なことに向き合い、ひたすら猛スピードで進むことが最善であると。各所で語られる正しい努力の話を思い出します。
 

夢も希望もないように感じますが「キレイごと抜きで、普通の人が成功できる一番の最短ルートはコレだよ」と30歳でマンガ道に飛び込んだ三田さんが言うと説得力あるんですよね。

普通にやることをやんなさい、アレコレ悩んだりオリジナルのやり方は遠回りなんだと。 

ラクしたいのを認めろ

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「普通のことをやれ」というのは、当たり前といえば当たり前ですよね。「プロ野球選手になりたけりゃまずはランニングからだ」と言われているようなモンです。

しかし、そこは流石の三田さん。現実を突きつけてばかりではありません。「ラクをしろ」と仰るわけです。ここに最大のポイントがあります。

できればみんなラクをしたいのである。 ほかの人たちが一段ずつ階段を上っているところを、自分だけはエスカレーターで進みたいのである。僕はこれを、まったく悪いことだとは思わない。

ラクをしたいと思うのは、なんら恥じることのない当然の欲求だ。だって考えてほしい。ラクをすることとは、作業を効率化させることとイコールなのだ。ムダを省いて効率を上げることの、いったいなにが悪いというのだろう?

「近道を探す」のと「ラクをする」のは似て非なるものであるということ。あくまで本道を猛スピードで進むために、いかにラクが出来るのか?

これは難しいことをやらないということではなく、結果につながらないムダなことをしない、最短距離で進めということ。

高速道路を早く走るためにいかにラクをするのかを考える。生産性を高めるってこともそのひとつですね。 

正直になって「俺はラクをしたいんだ」と言ってしまおう。そして、「ラクして成功するための『型』がほしいんだよ」と認めてしまおう。そこをあいまいにしたままでは、先へは進めないのである。

「ラクをする」と言うとどこか怠けてるようにも聞こえますが、真っ当にラクをしろと。では、そのラクな方法とは?

コピーでいいから結果を出せ

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胸を張ってベタな王道を歩め。アイデアが『型』によってつくられるように、そして即興の演奏にも「コード」があるように、売れる漫画にはあるパターンが存在している。僕がまがりなりにも漫画で生計を立てられるようになったのは、ひとえにこのパターンを守ってきたからである。
 
漫画家を志す人たちの中には「自分は個性的なんだ」という自負心が強いせいか、素直にこの王道を選べない人がいる。
 
要するに、ベタなことはやりたくない、というのである。そして結局は「ああでもない、こうでもない」と考えあぐね、なかなか世に出ることがないのだ。僕の感覚からすれば、これはとんだ大間違いだ。
 

何事もちょっと慣れてくると、ベタな方法は避けたくなるし、奇をてらったことを考えがち。

でも結局ウケるのは王道なモノがほとんどなわけです。それが現実。

理由は簡単で、王道にのっとったストーリーは単純に面白いのである。読者にしても、風変わりな漫画を求めているわけではなく、ただ面白い漫画を求めているはずだ。むしろ作者のエゴばかりがちらつく作品なんか、少なくとも僕は読みたいと思わない。
 
 

奇をてらうことばかり狙った作品は自己満足とも言えます。広く受け入れられるためにはベタで良い、というかベタが良い。ベタであることは決して悪いことではなく、良いこと。

なにかを発明することばかりに躍起にならず、既存のアイデアを堂々とパクろう。そして、それをどう応用していくかについて、もっと真剣に取り組もう。われわれ日本人には、そうした「模倣と応用」を得意とするDNAが宿っているのだ。どうしてそれを活用しないのだろう? カレーを発明したインド人は偉いけど、そこからカレーうどんをつくった日本人も同じくらいに偉いのである。

そんなこと言っても、人マネばかりじゃダメだし、クリエイターたるもの個性で勝負だ!という意見もありそうですね。しかし三田さんは全否定なのです。

個性なんかいらない

身もフタもない言い方かもしれないけど、そもそも僕は世間一般で信奉されている「個性」というやつを、あまり信用していない。誤解を承知で言うなら、「個性なんかいらない!」というのが僕の率直な意見だ。 

まずは基礎を、つまり他人と同じことをやっていけばいい。 本当の個性とは、他人と同じことをやっていく中でこそ、明らかになってくるものなのだ。周囲と同じことをやっていく中で、違いを見つけ、そこを伸ばし、自分のものにすること。それが個性なのである。
 

結果も出ていないのに、無理にオリジナルを追求する必要はないということ。変に尖ったことをやってアウトローにならず周りと同じことをやっていく中でも個性は磨かれる。

個性を追求しようとすればするほど結果的に没個性になってしまう(世に出れないので)という。

クリエイター、アーティスト思考の人こそ、これが難しいのかもしれませんね。周りに自分より個性的な人間がおらず、個性的だからこそクリエイターを志したという人も多そうです。

むしろそれを信じているというか。ゼロから学ぶことの難しさは自分自身の個性に対する拘りに原因があるのかも。

有名な話ですが、ピカソだって最初っからキュビスムを書いてたわけではありません。

僕もあなたも「普通」なのだ。

成功を夢みる人たちは、概してロマンチストであることが多い。尊敬する人といえば、織田信長や坂本龍馬のような異端児的な英雄ばかりで、間違っても家康の名前などは出てこない。そして自分も彼らのように異端児であろうとしたり、ほかと違ったことをやろうとしたりして、ジタバタするのだ。
 
つまり、わざわざ信長や龍馬のような時代の先駆者になろうとせず、2番手3番手を狙うのである。先駆者になると、さまざまな困難がつきまとう。前例もないし、進むべき道もわからない。たとえるなら、密林の中でナイフ片手に道を切り開きながら進むようなものだ。もちろん、失敗や挫折、回り道もたくさん待っているはずだ。ところが、2番手3番手にはそのような心配はまったくない。すでに先駆者がつくってくれた道を、安心して進めばいいのである。 
 

これって簡単なようで、できない人はたくさんいると思う。

正直な話、先駆者として成功をおさめることができるのは、ごく一部の天才たちに限られている。そして、少なくとも僕は天才ではない。また、これは失礼な話かもしれないけど、きっとあなたもそうだろう。僕もあなたも「普通」なのだ。
 
 

三田さんは決して上から目線で「おめーら普通なんだから普通のことやれ」って言っているわけではないんですよね。ご自身がそうだったし、そうされた結果今があるのです。

で、周りを見ると意外とこういう「普通の感覚」でいられる人が少なかったと。

自分自身を「普通」と認めるところから始まるのかもしれません。

さいごに

正直に言うと、全てに手放しで賛成ってことでもないです。個性を突き抜けさせて結果が出ている人もたくさんいますので、これはひとつの方法論。もちろん三田さんもそれはよくわかっているはず。

一部の天才や、個性が時流にピタっとハマっている人には無用の内容だと思いますが、その他大勢の「意味のない拘り」と闘っている人には非常に有効な考え方ではないでしょうか。

クリエイターにはアーティスティックな部分が必要です。もちろん個性だってあった方が良いに決まっています。

しかし、そればかりを優先して食っていけないようでは本末転倒。クリエイターをしっかりと「職業」として捉えることが大切なのだというメッセージなのかなと。

ぼくも含め、凡人にとって「個性を捨てる」という一見無謀ともとれる方法論が、結果的に「個性」を獲得する唯一の近道なのかもしれません。小さい拘りを捨てて、まずは結果を出すことを優先すべしということでしょう。

「成功(結果)」を自分の個性に合わせようとするのではなく「成功」に対して、まずは自分を最適化していくことが大切、ということですね。