ネットに溢れかえる本音の数々。
本音が溢れるだけに荒れやすいネットの言論空間ですが「批判」と「誹謗中傷」は異なるといった意見から「とはいえ言論の自由」など様々な意見考え方が交錯しています。
個人的には、個人を尊重しつつ自由で多様性のある状態が健全だと思うし、自身もそうありたいと考えています。
ただ、自由とはいえ、中にはやたらめったら「否定」することに精を出している人もいる。
中でも「否定するだけの人」というのは本当に辟易してしまいますよね。
で、「否定」ばかりしている人に限って何も行動していないことが多いようにも感じます。これは宇宙の法則なのかもしれません。
一方で、正しい「否定」というか、しっかりとした「意見」があるのも事実。 これは行動する・しないに関わらず、真摯に受け止めるべき適正なツッコミというものはあります。
無思考に全てに賛成するのもおかしな話だし、間違っていることはハッキリ「否定」すればいい。
他人と違う意見というのは言い換えればオリジナリティなのです。そもそも、思想・言論の自由ですからね。
しかし、あまりにも無意味・無思考で、他人にも自分にもマイナスであろう「否定」。これが問題なのです。
「人はなぜ否定的なのか?」「正体を明かさない書き込みは卑怯!」などのテーマは他に譲るとして、「否定することのデメリット」について書いていきたいと思います。
相手をやり込めるのは「頭がいい」ことではない
一般的にいえることですが、人をやり込めたほうがやり込められたほうよりも頭がいいという風潮がありますね。これは全く意味がないことです。
ディベートなどでも、相手をやり込めることばかりに意欲を燃やしているのはおかしい。物事は文脈の束で成り立っているので、その論理の矛盾を突こうとすれば、いかようにもできるものなのです。その気になれば、どこにでも突っ込みを入れることはできる。けれども、揚げ足を取ったり、やり込めたりするというのは、本当の頭のよさを証明するものではありません。大事なのは、相手の言いたいこと、本当に言いたいことをしっかりつかまえる文脈力があるかどうか。揚げ足を取って枝葉末節を議論したりするというのは、ただ自己顕示欲が強いだけなのです。そういう認識が世の中全体に共有されていないように思います。
否定するだけなら簡単。どんなに正しいことでも、相反する論理を主張すれば、いくらでも難癖つけて否定することができるわけです。
ぼくも学生の頃ディベートが好きで、友人と色々なテーマでよくやってましたが、正に自己顕示欲を満たすだけの為に、いかに相手を論破するのかってやってましたね。
論破することを目的とした議論に意味はなく双方にとって何の利益もない。むしろ時間のムダであり、後味の悪い虚しさが残るだけマイナスです。疲弊して終了。
一見、もっともらしい反対意見のように見えても、本質は中身のない否定かもしれないということ。注意が必要です。
否定するだけは思考停止。クリエイティブを阻害する
上にも書いたように、否定することは簡単なのでツッコミどころがひとつでもあったら「はい、論破」ってのは早計です。せっかくの貴重な情報、自分のクリエイティブにつながることすら否定してしまっては機会損失。
アイデアが気に入らないのは、クリエイティブなものを否定する「先入観」ゆえ、という可能性もゼロではありません。なんとなく気に入らないアイデアに出会ったら、もう一度、冷静に考えなおしてみるという習慣をつけると、クリエイティブなアイデアを見逃さずに済むかもしれません。
自分の意見に対しても否定的になってくる
否定ばかりしていると、自分の意見を発信する際にも「ツッコまれるからやめておこうかな・・・」と消極的になりがち。
否定はするけど何もしない人になってしまいます。
人も離れていく
何かにつけ否定的な人には関わりたくないのが本音です。自分から意見を述べることなくカウンターばかり狙っていては自然と人が離れていってしまう。
知らず知らずのうちに敬遠されてしまっては、貴重な出会いも逃してしまうかもしれません。
対策
まずは脊髄反射せずに一呼吸置く、一度飲み込んで自分のアタマで考えてみることが大切です。
どうしても否定するのであれば、アドバイスや自分なりの意見をつけくわえるようにしてみる。
これがあるだけで「ただの否定」が「建設的な意見」になるわけです。この「自分で考える」ことがなにより重要。
人にアドバイスするときってアタマ使うんですよね。 だってテキトーなこと言えないじゃないですか。「自分だったらどうするかな?」と一度考えてみることです。 そして考えたことを、どうしたらうまく相手に伝わるか工夫する。
アドバイスや意見を考えることで、結果的に考察が深まったり、アイデアが浮かんだりするので自分のためにもなるのです。
DTMで例えるなら、他人の楽曲を聴いて「出来が悪い」と感じたとします。そうした場合、何が悪いのか考えてみる。
どうしてそう感じるのか?どうすれば解決できるのか?自分ならどうするのか?色んな角度から考えることが重要で、考えた結果、相手に伝えるのを止めることもあるでしょう。
それでもいいと思います。そういった習慣をつけることで、見えてくるものは非常に多いし、それこそがクリエイティブな思考につながるのでは?と思います。
否定を恐れずに自ら発信しよう
誰かの意見を待つだけではなく、もう少し自分の意見を気軽に発信してもいいんじゃないかなと思います。
当たり前のことですが、発信する側に立てば安直な否定も自然としなくなるものです。
どこか窮屈に感じるのは、否定を恐れた空気というか、カウンター狙いの人たちを気にしすぎているのかなとも。しつこいようですが、否定することは簡単なので、そんなの気にしなくていいのです。
仮に、間違ってたら訂正すれば良いし、そこで気づけば良いんですよ。
完璧な人間なんていません。あんまり悩むと長生きできませんから。
日頃から自分の意見を考えるクセをつける
自分で、できるだけ多くの情報に接することが大事です。そのためのツールは揃っています。別に先生に教わらなくても、自分でスマートフォンのニュースアプリを使って情報に接することもできるし、ソーシャルネットワークを使って、世界中の様々な人達の情報に、すぐに、たどり着くことができます。簡単です。まず、自分で情報を、世界中の素晴らしい人たちの情報に触れることができるので、そのことを頭に入れておいてください。
それだけじゃダメです。これからはそうやって仕入れた情報を、自分の頭で考えて、そして自分で発信して、頭の中を整理して、自分で考える癖をつけていかないといけないです。それはどうやってやるのか。簡単です。インターネットでブログやソーシャルネットワークで発信し続ければいい。非常に簡単なことです。そうすることにより、世界中の様々な情報を頭の中に入れて、考えて自分なりの判断ができるようになると思います。
発信するとなると勝手に考えるようになります。これを習慣にする。ツイートする際にも自分の意見をつけてツイートする。
リツイートして終わるのではなく自分の意見も添える。
人を褒めるのは難しい
一応、簡単に触れておきますと、もっと難しいのが人を褒めること。 否定しない方がいいからって褒めればよいってことではないのです。ベンジャミン・フランクリンもこう言ってます。
何でもけなす人と何でもほめる人は、どちらも考えなしだ。
キャバクラ嬢などがお客に言うであろう「なにこれすごーい」ってヤツです。心の無いアレです。何がどうすごいのか説明できるのか?ってことです。
良い楽曲に出会ったら「なぜ良いと思ったのか」分析するのって大切ですよね。そういうことです。
否定するにも、褒めるにも、まずは考えましょうということ。そういった習慣がクリエイティブな脳を育んでいくと思います。
さいごに
いろいろな物事を安易に否定する前に、ちょっとブレーキをかけて一度考えてみてはいかがでしょうか。
なにごとにも、好奇心を持って、ニュートラルなスタンスでいると良いのではないかと思います。
そして自らも発信することによって人生観すら変わっていくのです。
否定ばかりしはじめたら危険信号ってことで。たまには客観的にtwilogでもみて、セルフチェックすると良いかもしれません。
ではでは。