出現確率0.018%のカールおじさんが出たんですよ!(自慢)
某テレビ番組の調査では「100袋(5603個)中、1個しか出なかった」とのことで、レア中のレア。
んで、ちょっと「運」について思うところがあるので書いてみたいと思います。
運に「量」はあるのか?
「あ~そんなところで運使ったんだ!もったいない!」
こういうセリフ、言われたことありませんか?または、そう考えたことありませんか?
運には量がある、という考え方。
個人的には、それって超マイナス思考じゃないかな?と思うわけです。
宝くじを例に考えますが、「運を使った」時に「もったいない」と感じるということは「宝くじが当たるだけの運の量を自分は持っていて、必ずいつか順番が回ってくる」と信じている(信じたい)ということですよね。
仮に、運に量があることを前提に考えてみると、何度も宝くじ当たる人は運の量が多く、宝くじ買い続けてても当たらない人は運の量が少ない、ということになります。
いや、運の量が多いってどこかで測定したのだろうか。
あったら是非教えて欲しい。そもそも運の量少ない人かもしれないですよ?
運に「量」なんて無いんですよね。というかそもそも測定不能なものなので、分からないというのが現時点での答えではないでしょうか。
ゲームのように数値化できれば分かりやすいのですが、人生はそう単純でないし、そんなものあってたまるかという感じ。
どうしても運について考えたいのであれば「強運の持ち主」とか「俺は持ってる」とか、プラス方面に考えた方が面白くないですかね。
俺はツイてるから、また何か良いことがあるんじゃないかな?って。
運を使っただの、減っただの言ってる会話自体が寒いので、もっと面白い会話しましょうと。
運頼みの人生なんて寂しくないですかね。
妬みについて
「運を使った」と他人から言われる場合、これは「妬み」の可能性もあるので、「運信仰」とは分けて考えなければいけません。
妬みはもっとタチが悪く、幸運な相手と自分と比較して、あたかも不幸な犠牲者気取りになる人が多いです。「なんでアイツだけ良い目にあってるんだ。面白くない。
でもアイツは運を使ってしまったのだ。そのうち悪いことが起きるに違いない」
そう考えることによって心中の妬みに決着をつけているんですね。自分の状況は何も変わってないのにね。
こんな人とは友達になりたくないですwシンプルに運の量信じてる人の方がまだいい。しかし、こういう思考がエスカレートして犯罪者になることもありますから注意しましょう。実害を加えてやろうとか思ったりね。怖いw
私も聖人君子ではないですし、綺麗ごとを言うつもりはありません。
妬みは人間の闇の部分なのでわからなくもないですが、外に出してしまうと自分も相手も傷つけますからほどほどに。
さいごに
運の良し悪しは結果論です。
運については、もっとポジティブに考えたほうが人生楽しいのではないかな、ということ。
何かにチャレンジして失敗したときに「たまたま運が悪かっただけだ」と自分を鼓舞するために使うくらいでちょうど良いのではないでしょうか。
ではでは。