高品質エフェクターを多数リリースする、Acustica Audioからリリースされたヘッドホンミックスをアシストするツール「Sienna」のレビューです。
今回は、音楽家必携の書として名高い「とーくばっく」などの著者である、David Shimamoto氏(以下David氏)へのインタビュー形式でのレビューとなります。
Siennaとは何なのか?どういった方向けなのか?また、どのようなメリットがあるのかについてご意見をうかがいました。
なお、David氏は日頃より忖度なしの”100%本音レビュー”を心がけておられ、今回も「使ってみて気に入れば」という条件でお誘いを受けて頂きました。
詳細は後述しますが、David氏はなりゆき上メーカから同製品のライセンスを受け取っており、それ以外には宣伝費やPR資料等は一切受け取られていません。
Acustica Audio Siennaレビュー
Siennaとは?
Sienna Reference→ヘッドホンを補正して聴感上フラットに近づける
Sienna Rooms→実在するスタジオや再生機器のIRを使ったルーム/スピーカ・シミュレーター
Sienna ReferenceにはMagic Q、Sienna Roomsには、Perfectionというパラメータがあり、これらはゼロにするとヘッドホンやスピーカーのプロファイリングに基づいて機械的にフラットな聴感に近づけた特性になります。
100%にするとSiennaの特徴である、CEO謹製「ぼくがかんがえたさいきょうの補正カーブ」が適用されます。いずれも可変で、その中間に設定することも可能です。
また、それぞれのプラグインをより細かくカスタマイズしたい人のために、”Sienna Reference Pro”、”Sienna Rooms Guru”という代替プラグインも同梱されています。
知っておくとよいポイントとして、Sienna Roomsには、Sienna Referenceの簡易版が内蔵されています。ですので、基本的な使い方にとどめるうちは、Sienna Roomsだけでも機能としてはひととおり揃います。
Sienna Roomsに内蔵されたヘッドホン補正機能はSienna Referenceと同じですが、Magic Qが操作できず、値は50%に固定されています。(公式情報はないが、他のユーザから報告があり、D.S.もPlugindoctorで確認)
ですので柔軟に設定したい場合はRooms→Referenceの順に2つのプラグインを立ち上げ、Rooms内蔵のヘッドホン補正機能をバイパスすることになります。
で、さらにカリカリにチューニングしたい場合はこれらの代わりに、別プラグインとして同梱されているSienna Rooms Guru、Sienna Reference Proをモニターチェーンの最終段に立ち上げることになるかと思います。
バンドルの違い
Vol.A…プラグイン本体と、基本的なルーム
Vol.B…主に追加のスタジオや業務用スピーカー
Vol.C…主に追加の再生機(ノートPC、スマホ、テレビ、ラジカセなど)
つまりヘッドホン補正のみを使用する場合はVol.Aしか必要ありません。
追加エキスパンションとなるVol.Bは業務スタジオやモニタの種類を増やしたい人用、Vol.Cは、業務機以外の民生機器での鳴りもチェックしたい人用、といったところですね。車載オーディオのエミュレーションなどもVol.Cに含まれます。
バリエーションを増やしたいという方は、Vol.Bを導入することで、6つのスタジオと、9つのスタジオモニタースピーカーが追加されると。
Sienna Referenceについて
Sienna Referenceのヘッドホン補正は、ただただフラットに近づけるだけでなく、最大限モニタリングに使えるようにとの配慮がなされていると感じました。
具体的には、補正カーブの設計時には、ローはそのヘッドホンが歪むレベルまで絶対に上げない、ハイは可能な限り変更を加えないよう配慮されています。
ハイについては、たとえば明るいヘッドホンであれば、ユーザはその特性を好んで使っているのだろうから下手に手を加えるとデメリットの方が大きいと考えたそうです。
また、同じモデルのヘッドホンでも製造時期や製造国の異なるものにも対応するため、公式情報から非公式なものまで、ものすごい熱意とスピードでもって情報収集しています。対応ヘッドホンも日ごとに増えています。
さらに、Referenceを通したあとのヘッドホンごとの差異も最小化することに注力しています。
プロファイルの作成時には評価基準がブレないよう、200台以上のヘッドホンに対して、これもCEOが自ら検聴と調整を重ねたそうです。
それが好みに合わなければ、前述のようにMagicQやPerfectionといったパラメータを下げることで、人力による追加補正の度合いを任意にコントロールできるというわけです。
私自身、以前に他社製の補正ツールを試したときはしっくりこなかったのですが、こちらはSienna ReferenceのためだけでもVol.Aを購入する価値があると感じました。
同じように他の補正ツールに期待を寄せながら、これまで踏み切ることができなかった人にもぜひ試してほしいですね。
Sienna Roomsについて
パラメータがややわかりにくい感は否めないですが、これは「ヘッドホンミックスにそもそも必要な要素とはなにか」をAucsticaがゼロから考え、試行錯誤を重ね、見つけた落としどころであるともいえるかなり独特なものです。
Sienna Referenceはヘッドホンのクセをとるためのカーブを加えるだけですので比較的わかりやすいのですが、Roomsはもう少し説明を要すると思います。
これは「ヘッドホンをかぶるとアラ不思議、本当にスタジオにいるみたい」という空間を再現するものではありませんし、はじめからそれを目的とはしていません。
従来はミックス/マスタリング時にスピーカーでしか確認できなかったポイントも、ヘッドホンでのチェックを可能にすることを目的したツールであると私自身は理解してます。
そのため、たとえば作業する部屋やスピーカが変わったときに耳を慣らすのにある程度の期間を必要とするように、Sienna Roomsが使い物になるまでには、ある程度の時間を要します。
それは人によっては数時間で済むこともあれば、場合によっては数週間ほどかかることもあることはAcusticaも認めているところです。
Seinnaというエコシステムに慣れさえすれば、素のヘッドホンや、安価なスピーカ、あるいは機器は安価でなくてもチューニングのまずい部屋…そういった条件下では越えられなかった壁が越えられますよ、というふうに理解するのが正しいと思います。
この部屋では、テンモニっぽいなにか(サブウーファ有り、無し)、Avantone Mixcubeっぽいなにか、B&W 800っぽいなにか、などが選択できます。
色々と詳しくない人はまずSpitfireから始めると良さそうですね。ってか、このB&Wのスピーカーってペアで数百万円するようですが、似てる似てないの判別できる人いるんでしょうか…
ほかにもいくつかルームはあり、同じテンモニでもまったく違う部屋で鳴らしたり、いくつか部屋もモデルも異なるラージスピーカーも選択できます。ただし、Spitfire以外の部屋は基本的にクセがあることをメーカも公言しており、どちらかというと「それでも使いたいヒト用」という、かなり割り切った位置づけになっています。それらの部屋もユーザグループに愛好者が多いことから、使い物にならないわけではなさそうですが。
Roomsには用途別のプリセットもかなりの数が用意されていますので、まずはその中からしっくりくるものを選んで始めてみるといいかもしれないですね。
あと、Roomsのこだわりポイントとしてクロストークの現れ方を細かく調整できるというのがあります。
ヘッドホンは左右チャンネルが完全に分離した状態で耳に届くため、スピーカと比べたときに左右にPANを振った音ほど音像中の占有面積やレベルが違って見えます。制作中にスピーカとヘッドホンを往復すると、背景に追いやったはずのステレオシンセがやたらと強く主張していたり、その逆が起こったりするのはこのためですね。私見ではありますが、スピーカで組んだバランスの方が破綻が少なく、逆にヘッドホンのみでミックスをする際には、ある程度の心得がないと再生環境の変化への耐性が低いバランスを組むリスクがあると考えます。
とはいえ、適当に左右チャンネルの信号を少しずつもう一方に送ってもなかなかうまくはいきませんし、かといって左右の耳に到達する時間差も含めて再現しても、人によっては不自然にしか感じません。このクロストークの現れ方に関するパラメータもReference Guruの方には結構ありまして、この製品をカスタマイズする上でのキモでもあると思います。
ヘッドホンは何でも良いのか?
ユーザグループによく名前の挙がる具体的な製品としては、Audeze LCD-X、Focal Clear などですね。
付属の補正ツールと組み合わせる前提で販売されている某ヘッドホンのユーザも非常に多い印象を受けます。ヘッドホンはそのまま流用して、補正部分だけSiennaに乗り換えたという声もかなり目にしました。
私自身は、これもよく名前の挙がるHifiman Sundaraを試してみました。というより、Siennaをより深く体験したくてわざわざ買ってみました。
それまではHD600と、ATH-50M (非x)で試して、Referenceだけでもヘッドホンの癖を憶測で補完する必要性が減るように感じていました。が、正直Roomsははじめのうちはピンとこなかったんですよ。
Sundaraに変えて、スピーカをVEGA9(Focal SM9によく似たなにか)に変えたときのローの鳴りを聴いた瞬間が、ちょっとしたアハ体験でした。
SM9ほどの解像度や没入感はないかもしれませんが、ローの押し出し感にフォーカスすると、過去に某店頭のデモで聴いた鳴り方に通じるものを感じました。
それは「ウン、特徴をよく捕らえたデフォルメだね」で片付けられるものではなく、Siennaの特徴さえ掴めばローのモニタリングに「使える」音だと感じました。
Vol.Cに含まれる車載オーディオのエミュレーションもこの傾向があります。車の中で聴いているような没入感はありませんが、わざわざ車に音源を持っていってリファレンス音源と比べて初めてみえるようなアラも、ある程度あぶり出せるようにはできていると思います。
対応ヘッドホンである以上は素の状態よりもモニタリングがしやすくなる可能性は十分にあると思いますが、推奨ヘッドホン群のどれかと組み合わせる方が夢のモバイルスタジオへの近道になりそうな気はしています。
いまユーザグループがすごく熱い
Siennaはもともと、AcusticaのCEOがほんの出来心でヘッドホン補正ツールの市場に参入してみようかという軽い気持ちで始めたプロジェクトです。
開発が開始された時期はよくわかりませんが、当時から存在した競合製品はかなり研究されたようですね。その中には、某補正ツールと組み合わせて使用されることの多かったCanopennerなども含まれます。
それが「ウチのも負けてねーぞ」と満を持してリリースしたところ、スタジオで作業する必要がなくなったというユーザや、スピーカの売却を決めたというユーザまで現れたもので、予想を遥かに上回る好評ぶりに嬉しくなったAcusticaが、さらに洗練させるために日々すごい努力を重ねています。
2021年4月にはFacebookのSiennaユーザグループに、同社最高のヒット製品になることを予感しているというCEOの書き込みがありました。
ユーザコミュニティの熱は、ちょっとほかの製品では見たことがないものになっています。
ウィークポイントについて
ひとつ難点を挙げるなら、現状、いくらなんでもドキュメントが取っ散らかりすぎている…というのはあります。
私がこれだけ製品の解説ができるのは、きっとメーカからPR資料をもらったのではないかと思われるかもしれませんが、そうではありません。
私自身、ノマドワーカーを長年夢見る一人として今回のお誘いをきっかけにSiennaに興味を持ったのですが、マニュアルを読んだだけではわからないことだらけでした。
そこで、よりよく知りたくて関連文書に目を通すうちに、気が付けばGearspaceのスレッド40ページ以上、HRTFやハーマンカーブに関する資料、そして極めつけが、Siennaの開発を思いついてから完成するまでの日々をCEOが自ら綴ったエッセイ(英文70p)までをも丸3日かけて読破し、ようやくSiennaがなにを目指しているかの片鱗が見えた感じです。モノの性質はわかりましたが、何度もマニュアルを読み返してもいまだに用途を完全には理解できないパラメータが少なくありません。
っていうか、そんな本を作ってまで信条を語りたがるプラグインメーカも、その産物も前例を知りません…。
「ここまで頑張って調べたんだし、悪いレビューにはしないからご褒美にライセンスおくれ」とメーカにダメ元でお願いしたらいただけたのはインタビューの冒頭でお伝えしたとおりです。
そんな製品ですので、起動までのハードルは低いかもしれませんが、やみくもにパラメータをいじったり考え無しに短時間触れただけでは、おそらく設計者が想定する使い方に至るのは困難でしょうし、ある程度の時間と覚悟は必要になると思われます。
とはいえ、さんざん周り道してようやく理解したことの8割ぐらいはこれまでの説明でカバーできたと思いますので、ご覧の皆様にはとりあえずまずは使ってみていただけたらと。
もしユーザグループを沸かせている数多くのユーザのように、これをご覧になっているあなたも「ハマる」人の一人であれば、メーカのうたい文句どおり100万ドル分のスタジオと機材を頭にかぶり、実機は破棄し、作業場所の制約やルームチューニングにまつわる諸問題から解放されて自由を謳歌できるかもしれません。
最後に、1点だけ加えると、
Sienna Roomsは仮想3D空間の再現を目指す製品ではないといいましたが、実際に自分がスピーカの前に座っているような音像を再現できないわけではないです。
ただしこの機能は「平均的な耳の形状」をモデルにしたHRTFに依存しており、このパラメータ(Acustica++)をどこまで深く、かつ自然に掛けられるかは体型からくる個人差によります。
この機能に頼らずとも十分に使いではあるでしょうがが、好みとは別の軸で、有効な設定範囲が限られてくるパラメータも中には存在することは留意された方がいいでしょう。
まとめ
- ヘッドホン補正ツールと、ミックス/マスタリング効率を最大化するツールのセット。前者だけでも有用。
- 対応ヘッドホンの多さ
- ミックス/マスタリング時にスピーカが不要になる夢のツールがあるとすれば、現行製品の中では最も実用に近い…かも?
- アップデートのペースがハンパない(リリースから2週間ほどの後にSienna Reference Proが突如公開&バンドルされるなど、対応ヘッドホンの数とともに日々強化中)
- クロストークを再現するなど、スピーカーに近い音像でバランスの判断が可能
- ドキュメントが未整備の部分が多い感(言葉の壁以前の問題…)
- ポテンシャルをすべて引き出せるまでのハードルが低いとはいいがたい
- GUIがデカい(コンパクトなモニコンモードも欲しい!との要望はDavid氏がメーカに提出済み)
- GUIのスタジオ画像には表示されているのに、選択できないスピーカが結構ある!
どういう人にオススメか?
大音量が出せない人、ノマドワーカーを目指している人、ヘッドホンでミックスすることの限界を感じている、あるいはそうでなくても作業効率を上げたい人ですね。
それから、ローのバランス作りに困っている人。
ニアフィールドにサブウーファを加えた2.1ch構成でミックスすることもできますが、それとて部屋を含めたチューニングが正しくできなければ、ただローが出ているだけでモニタリング環境としては決して理想的ではないケースもあります。
先に挙げたヘッドホンとの組み合わせはやや高額に感じられるかもしれませんが、高品質なスピーカやルームチューニングにお金を掛けるよりも結果的に高コスパと感じる人もいるのではないでしょうか。
David Shimamoto氏
Studio Gyokimae / Vocal-EDIT.com代表。California Institute of the Arts卒。ボーカル補正を業務として行う傍ら、音楽制作/録音にまつわる情報をまとめた書籍『とーくばっく〜デジタル・スタジオの話』を自主制作。京都府在住。
サンレコ誌面デビューしました!
先月開催されたセミナーの概略ですが、見開き2ページにびっしりご紹介いただきました。
公開された動画アーカイブと併せてぜひご覧ください。
くるりの表紙が目印です! pic.twitter.com/LnB7tZVudp— ✌🐸💕David S. (@gyokimae) April 24, 2021